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広島高等裁判所 昭和52年(行コ)5号 判決

控訴人(原告) 冨田和夫

被控訴人(被告) 山口県教育委員会

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  当事者双方の求めた裁判

控訴人は「原判決を取り消す。被控訴人が昭和四五年一月七日付で控訴人に対してした懲戒免職処分はこれを取り消す。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴人は主文同旨の判決を求めた。

二  控訴人の主張

1  控訴人は外国語(英語)二級免許状を取得し、昭和二七年三月三一日被控訴人から中学校教諭に任命され、英語担当の教諭として、各中学校を経た後昭和三六年四月一日から昭和四四年三月三一日までの間宇部市立桃山中学校に勤務し、同年四月一日以後山口県教職員組合(以下「山口県教組」という。)の専従職員となつた。

2  被控訴人は昭和四五年一月七日控訴人を懲戒免職処分とした(以下「本件免職処分」という。)。その処分理由は、「控訴人は昭和四四年二月ころから桃山中学校の授業でその授業時間中生徒に対し、毛沢東の毛主席語録(以下「毛語録」という。)を解説し、その立場から時事問題を解説し批判するなどの言動があり、更に同年三月一三日特別活動の時間に、担任する三年七組の教室において、出席生徒全員に対して毛語録を読んで貰いたい旨述べて各人に一冊ずつ毛語録を配布した。」右の行為は、教育基本八条の「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治活動をしてはならない」との規定に反し、文部省の定めた中学校学習指導要領に違背逸脱し、非民主主義的教育をしたもので、地方公務員法三二条(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)、三三条(信用失墜行為の禁止)に違反し同法二九条一項一号に当たるので、懲戒免職する、というのである。

3  しかし、本件免職処分の対象とされた行為自体が存在せず、右処分は違法である。

(一)  毛語録の引用解説、時事解説について

控訴人は桃山中学校の授業で生徒に対し、道徳教育の教材として毛語録を使用したが、道徳教育以外の意図からこれを解説したり、その思想的立場から時事問題を解説し批判するなどの言動をしたことが全くない。

(1) 控訴人は桃山中学校三年七組の担任教師として、生徒に対し、昭和四四年二月(三学期後半)ころから同年三月卒業するまでの間、主として道徳及び特別活動(ホームルーム)の時間、それ以外は僅かの時間に、毛語録の中から人間形成に役立つと考えた部分をその限度で取り上げて引用し読みあげたことはあるが、毛語録中の毛沢東思想、中国共産党の主義の部分を引用し解説したことはない。そのことは、生徒の感想文集(乙第一号証)からも認められる。たとえば、「卒業近くになつて先生が読まれる毛沢東語録には、私たちが生きるために必要なことが書いてあると思いました。」とし、「私は、先生があの本を読まれるようになつて、本当のことを言うと大きらいでした。でも公立のテストの前に、言われた言葉は、試験場に行つても思いだしました。」とし、「先生のいままでの話や、毛沢東語録などを聞いてなるほどそうだなあと考え直しました。」としている。

(2) 毛語録は、毛沢東がマルクス・レーニン主義の中国における具体的状況への適用として書いた著書、論文からの抜粋であり、史的唯物論の立場にたつて階級闘争と革命を鼓吹することを目的とした文書である。ところで、現実には、多数の勤労者や知識人がマルクス・レーニン主義によつて指導される社会主義イデオロギーの正当性を確信し、社会主義体制を指向する政治運動を支持しており、毛沢東思想は、人民を解放し人民の利益を肯定するもので、戦争の惨禍への反省として誕生した我が国憲法の基本理念と相いれないものでなく、優れた価値ある思想である。したがつて、毛語録を政治的実践の教科書としてではなく、人格教育に役立ちうる有益な文献、道徳教育の教材として使用することは何ら妨げられるべきことではない。

(3) 控訴人は山口県教組が採択した民族民主教育の基本方針に従い、その実践の資料として毛語録が適切であると考え、これによる教育をしたものである。民族民主教育とは、教育は教師ばかりでなく国民大衆の協力によつてなされるべきものであり、民族独立の課題を教育の中で明確にする必要があるというものであつて、特定政党を支持しまたは反対する教育とは無縁であり、控訴人は生徒に対し革命の必然性を宣伝したり革命闘争を煽動する教育をしたことはない。

(4) 控訴人が三年七組の生徒に対し、当時の社会問題であるベトナム戦争、沖縄問題、沖の山炭鉱閉山問題などを解説したが、その原因である現在の社会体制への批判が含まれるのは当然であり それだからといつて毛語録の思想的立場から時事問題を解説したことにはならず、控訴人はあくまで憲法、教育基本法などの精神に従つて行つたものである。

(二)  毛語録の配布について

控訴人が昭和四四年三月一三日三年七組の生徒全員に対し、その生徒たちから卒業記念に贈られた似顔絵版画集、万年筆及びシヤープペンシルの返礼として、毛語録を贈つたことがあるが、それは特別活動の時間ではなく、したがつて、特別活動の教材として配布したものではない。

(三)  中国共産党の主義による教育について

控訴人が昭和四三年度中生徒に対し、毛沢東思想あるいは中国共産党の主義の政治思想を唯一絶対的なものとして、その立場から政治教育をしたことはなく、その点は右(一)で述べたとおりである。被控訴人主張のとおり昭和四三年夏期補習授業の英語の教材として毛語録の一節を利用したことはあるが、もとより政治教育の目的でしたことではない。

4  控訴人の行為の適法性について

(一)  教育基本法違反について

(1) 教育基本法六条は、法律に定める学校が公の性質をもつこと、その教員は全体の奉仕者であることを規定し、同法一〇条は、教育は不当な支配に服することなく国民全体に対し直接に責任を負うことを規定するが、これらのことは、決して教員が時の支配的政治権力に従つて教育を行うことを意味するものでなく、むしろその逆であつて、議会制民主主義の建前から採用された多数決原理による決定に盲従することなく、自主的に、憲法や教育基本法前文に現れた崇高な教育目的に忠実に従うべきことを求めている。

教育基本法八条二項は、法律に定める学校は特定の政党を支持しまたはこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならないとしているが、八条全体の趣旨とするところは、民主的、文化的国家を建設するためには、次代の主権者である生徒児童に対し政治に対する認識力を育成する政治教育が重要であるとしているのである。そして、政治教育が政治権力に従属していては認識力批判力は養われないのであつて、特定の政党を支持する教育を行つてはならないが、現実の国家、社会、政治、経済、文化等に対する批判的見解を表明する教育方法を否定するものではない。

(2) 政治教育において特定の政党の政治思想をより価値の高いものとして教えているような事実があつても、政党の政策などを正しく評価し、良識ある公民としての政治的教養を高めるという教育の目的に合致しておれば許される。特定の政党である中国共産党の政治思想も、中国革命とこれを指導した毛沢東の思想という客観的な事実及び評価に基づいて教えることは教育基本法の禁止するところでなく、社会主義体制の積極面を肯定的に評価し、社会主義思想のもつ倫理観を教え、また、侵略戦争、社会的差別、搾取制度、公害、労働災害、失業、物価高などの原因を科学的に分析して解説しても、生徒の批判力を養うという教育目的の観点からこれをすることは右法条に反しない。

(3) 毛語録の引用、配布も右のごとく生徒の政治的教養を高めるために行なつたものであり、特定の政党を支持する政治的活動をしたものではなく、また、教育活動以外の分野でその政治的行為をしたものでもない。さらに、毛語録は我が国においては翻訳書の一つであるのにすぎず、何らの現実的な政治目的を有するものではない点でも人事院規則一四―七に該当しない。

(4) 教育基本法一条、二条違反について

控訴人の行為は同法八条二項に違反するものではないこと前記のとおりであるから、同法一条、二条の趣旨にも違反しない。

(二)  中学校学習指導要領違反について

被控訴人は本件免職処分当時中学校学習指導要領違反についてはその適用を全く考えておらなかつたものであり、処分理由説明書にもその記載がないが、その後不服審査手続で始めてそれをも根拠とするにいたつたもので、このように、処分理由及び適用法条を追加することは不適法で許されない。

中学校学習指導要領は法的な効力を有するものではない。教育は、教員が学問の自由の保障のもとに創意性に富む文化的な営みとしてなされるものであるから、教科内容も、国民が直接教員ないし教育行政機関に望む点につき意思表示をし、教員がその内容を検討し自主的に決めるべきものであり、多数決原理の支配する立法府ないし教育行政機関が多数の意見がそうであるからとして、その教育内容を特定し制限して、教員がそれ以外の内容を教えてはならないというような規制をすることは、教育基本法一〇条の禁止する不当な支配にあたり、許されるものではない。

控訴人の前記行為は中学校学習指導要領に定めた各教科内容を逸脱するものではない。第一章総則第三道徳教育第二段(第三章第一節の第一も同じ。)、第三章第二節特別教育活動第一の各目標にそれぞれ包含される内容として教育したのにすぎず、それを逸脱して政治教育をしたものではなく、むしろ極めて忠実熱心にこれを遵守し実践したものである。

5  本件懲戒免職処分の違法性、裁量権の濫用について

控訴人の前記行為が被控訴人主張の各法条に該当しないこと前記のとおりで本件免職処分は違法であり、そうではないとしても、後記各事情からみてそれは裁量権の濫用にあたり違法である。

公務員の懲戒免職処分は裁量行為ではあるが、その裁量は、適用法規の趣旨、目的、処分対象となつた行為の性格、被処分者の雇用関係上の地位や経歴、身分保障の見地などから十分慎重に、かつ、恣意を排し公平の観念に反しないように行使されるべきである。本件免職処分は、控訴人の教育内容に偏向があつて問題とされたものではなく、毛語録の配布行為から逆に控訴人の日常の教育が問題視され、生徒の感想文集、一部父兄の情報、目校長作成の資料などから控訴人の行為を認定した根拠薄弱なものであり、また、その判断評価の対象となつたのは、右具体的事実自体ではなく、控訴人が教員として自由な創意によつてなされるべき道徳や特別活動における教育方法の適否という極めて抽象的な評価がその主要な理由となつていて、それは教員相互、教員と被控訴人間の討議、指導により是正されるべき問題で、懲戒処分事由にはあたらないところ、これによつて処分したものであり、裁量権を濫用したものである。

6  よつて、本件免職処分は違法であるから、その取消を求める。

三  被控訴人の主張

1  控訴人の主張1の事実(控訴人の身分関係)は認める。

2  同2の事実(本件免職処分)は認める。なお、被控訴人は、本訴(当審)において、後記3(二)の行為をも本件免職処分事由として追加主張する。処分事由説明書の記載は被処分者がいかなる違法行為を理由として処分を受けるかを理解し得る程度で足り、処分事由書に記載されていない事実であつても、社会観念上記載事実と密接な関連をもち同一性のある事実は、訴訟において処分理由として追加主張ができるものと解すべきである。

3  被控訴人が控訴人に対してした本件免職処分は、次の諸行為をその処分対象とするものである。

(一)  毛語録の引用解説、時事解説について

控訴人は昭和四四年二月ころから同年三月まで、桃山中学校の英語、道徳、特別活動の授業時間中、担任の三年七組の生徒三九名に対し、毛語録の一部を引用し解説したが、それは、その倫理的部分に限られたものではない。また、控訴人は毛沢東思想の立場から時事問題を解説した。

(1) 毛語録の内容は、「われわれの思想をみちびく理論的基礎はマルクス・レーニン主義である。」との書き出しに始まり、「革命をおこなうからには、革命党が必要である。マルクス・レーニン主義の革命理論と革命的風格にもとづいてうちたてられた革命政党なしには、労働者階級と広範な人民大衆を指導して帝国主義とその手先にうち勝つことはできない。」「革命は暴動であり、一つの階級が他の階級をうち倒す激烈な行動である。」などとし、中国における共産主義革命のための戦争とその遂行に必要な人民大衆の政治的実践規範(政治的な倫理を含む。)を説いたものである。

(2) 控訴人は、その信奉する毛沢東思想の政治的な実践活動として、あるいは中国共産党を支持する政治教育、政治的活動として、毛語録を引用し解説したものである。控訴人は我が国の議会制民主主義、資本主義経済体制は近い将来崩壊し、労農大衆による共産主義の政治経済体制が実現するものと信じ、これを実現させる革命的な実践として、まず、毛語録を用いて生徒を教え、現在行われている民主主義的な教育はブルジヨア思想による売国反動教育であるから、その排除のため、教育闘争を行わなければならないとの信念にしたがい、毛語録による教育をした。控訴人はまた山口県教組の執行委員として同教組のいう民族民主教育を熱心に支持し、これに独自の理論を加えた見解を有し、これを各雑誌に論文形式で発表しているが、これらの中には、「われわれは教育闘争を大衆闘争として組織し、大衆自身を動かし、大衆と共にたたかい、大衆の先頭に立つてたたかう組織者とならなければならない。」「われわれは、教育闘争をイデオロギー闘争としてとらえ、教師自らの生き方、親の生き方を通して、敵のイデオロギーとたたかい、たたかいを通して大衆の政治的自覚、階級的団結を強化していくことを目的意識的に追求しなければならない。」(乙第四三号証の三)、「山口県の多くの先進的な教師たちは、前衛党の指導のもとに米日反動派の教育支配をうち破り、日本人民の根本的利益に奉仕する教育の道を求めてたたかいを発展させた。(中略)このような教育闘争が発展していく中で、私は桃山中学校三年生の担任教師として生徒達が日本民族の将来をになう立派な若者として育つていくために、民族的な誇りをもち正しい考えを身につけ、社会進歩に貢献でき、愛国正義の心をもつて成長するよう願つて、一年間を生徒と学びあい、考えあい、生活をともにするために努力してきた。」(乙第四〇号証)との内容があり、このような考えに基づいて毛語録を引用し解説し、その立場に立つて、ベトナム反戦、沖縄基地、岩国基地、九大米機墜落事故、沖の山炭鉱閉山、明治百年などの時事問題を解説した。

(二)  毛語録の配布について

控訴人は昭和四四年三月一三日特別活動の時間、担任する桃山中学校三年七組の教室において、出席生徒の全員に対し、よく読んで貰いたい旨述べ、右(一)記載の趣旨をもつて毛語録を各人に一冊ずつ配布した。

(三)  中国共産党の主義による教育について

控訴人は昭和四三年四月から昭和四四年三月までの年間を通じ、生徒に対し、英語、道徳、特別活動などの授業時間中に、我が国の資本主義、民主主義、自由主義を否定し、中国共産主義思想を植えつける教育をした。

(1) 控訴人が毛沢東に心酔し、毛沢東思想に基づく強い信念を持ち、かような立場から毛語録の思想的内容も解説し、時事問題を解説したこと、同じ目的から生徒に対し毛語録を配布したことは右(一)、(二)で述べたとおりである。

(2) 控訴人が昭和四三年夏期補習授業の英語の教材として、毛語録の一節を自ら英訳した文章を掲げ、その和訳及び英文法の出題をしたが、その一部に「今日、二つの大きな山が中国人民の上に重荷のようにのしかかつている。一つは帝国主義であり、もう一つは封建主義である。中国共産党が、それらを掘りくずす決心をして久しくなる。われわれは、絶え間なく、その仕事をしなければならない。われわれもまた、神の心を感動させるであろう。われわれの神は中国人民である。もし人民たちがたちあがり、われわれといつしよに掘れば、これらの二つの山を取り去ることができないわけはない。(毛沢東による)」との文章があり、共産主義教育をしたことが明らかである。

(3) 控訴人が担任した三年七組の生徒が控訴人の授業につき書いた感想文集(乙第一号証)には、控訴人から英語、道徳、学級活動の時間に教えられた共産主義思想の感想、毛語録の感想が多く見受けられる。たとえば、「私は社会主義とか毛沢東とかを全く無視し、世界の情況についても無関心でした。しかし、私はいつのまにか少しでもそれらのことに興味を持ちはじめ、自分の視野の狭かつたことに気づき、先生のおつしやることが頭に残るようになりました。」「その人達は自由主義が多く私もその中の一人です。だから私は共産主義を批判しました。……でも先生の話を聞いていると私はどちらを思えばいいのかまよいました。……先生も自由主義のいいところを認めて下さい。」「「毛沢東の話を聞き、毛沢東の本を読み、毛沢東の指示どおり働こう」この言葉は全体にまちがつているのではないかと思つた。……マルクス・レーニンの行つた共産主義はんえいのやり方は、その場はよかつたかもしれないが、今のソ連はニセ共産主義である(チエコ侵入事件から)。……毛沢東を……批判する事も大切だということに気づかなければならないと思う。」「先生はあまりにも自由主義に対して徹底的に批判されすぎます。」「このことはなおしてほしいと思います。それは、民主主義や日本の政治を批判しすぎることです。」などである。

(4) 三年七組の生徒の父兄が控訴人の授業内容を生徒から聞いたとして作成した供述書、桃山中学校の目校長らが三年七組の生徒の父兄から右の点につき聞きとつて作成した供述録取書にも、控訴人が中国共産党の主義に基づく教育をしたことが現れており、その内容には、「一学期の終りころから人民、同志、マルクス・レーニン主義者、帝国主義者、共産党などのコトバが多く聴かれるようになつた。」(乙第二〇号証)、「冨田先生が中国の共産主義をおしつけてくるので子どもが反抗的態度をとるようになつた。」(乙第二二号証)、「ベトナム問題、資本主義批判(資本主義はいずれ社会主義にかわり、最終的には共産主義となる)など、年間を通じて、道徳、学活の時間にたくさん聞かされた。……共産党の先生という父兄のうわさを以前にも増して強く聞くようになつた。幼ない子どもに共産主義を吹き込まれては困る」(乙第二三号証)のようなものがある。

4  新聞報道について

控訴人の右のごとき中国共産主義教育及び毛語録の配布の行為は、当時の新聞等各報道機関によつて山口県のみならず、全国的に報道された。

5  控訴人の行為の違法性について

控訴人の前記行為は、教育基本法一条、二条、八条二項、教育公務員特例法二一条の三、人事院規則一四―七「政治的行為」六項一三号中学校学習指導要領、学校教育法二八条六項、四〇条に違背し、このような法令違反の点で地方公務員法三二条に違反し、公教育についての国民の信用を著しく失墜させた点において同法三三条に違反するので、同法二九条一項一号の懲戒免職処分事由に当たる。

(一)  教育基本法違反について

控訴人の前記行為は、控訴人が特定の政党である中国共産党を支持し我が国の政権を担当する与党を支持しない政治教育及び政治活動をしたもので、教育基本法八条違反にあたり、同時に同法一条二条の趣旨にも反する。法律に定める学校の政治教育は憲法の基本原理ことに議会制民主主義、自由主義、平和主義などに合致する内容でなければならず、殊に、中学校生徒は、社会、政治等に対し興味を抱きはじめるもののその判断力は未熟であり、思想的には白紙にもたとえられるべき状態にあるので、教員の政治教育は特定の政党政派に偏するものであつてはならない。

(二)  教育公務員特例法二一条の三(地方公務員法三六条、国家公務員法一〇二条)、人事院規則一四―七違反について

控訴人の前記行為は結局において、中国共産党の主義をその指導理念として生徒に革命教育を施すことにより政治的行為をしたものであり、また、毛語録を読み聞かせたことは人事院規則一四―七「政治的行為」のうち六項一三号の「政治的目的を有する署名又は無署名の文書、図書」としての毛語録を「多数の人に対して朗読し又は聴取させる行為」に、これを配布した行為はその文書を「配布する行為」に当たるものであつて、前記法条に違反する。

(三)  中学校学習指導要領違反などについて

(1) 控訴人に対する本件免職処分理由説明書には中学校学習指導要領違反の事実及び適用法条の記載がないが、その記載された事実と社会的に同一性があれば処分理由として追加が許されるものであり、被控訴人は控訴人から山口県人事委員会に申立てられた不服審査手続でこれを追加主張し現在にいたつているものである。

(2) 中学校の教科は、学校教育法三八条、一〇六条により文部大臣が定めるところ、同法施行規則五三条で教育課程及び教科の科目名が定められ、同規則五四条の二により、文部大臣が教育課程の基準として各教科の目標、内容等を学習指導要領として定めるものとし、昭和三三年一〇月一日文部省告示八一号中学校学習指導要領が官報(号外七六)に掲載された。右中学校学習指導要領は、形式、内容ともに法令として、その効力を有するものである。

中学校学習指導要領もまた憲法、教育基本法、学校教育法に従う内容が各教科の内容として定められているところ、控訴人の前記行為は、学習指導要領に定められた「目的」「内容」を逸脱し、憲法の基本原理、教育基本法に反するものであつて、右学習指導要領違反である。同時にそれは学校教育法四〇条、二八条六項違反にも当たる。

6  本件懲戒処分の適法性について

(一)  公務員の懲戒処分においては、「懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また懲戒処分をする場合はいかなる処分を選択すべきかを決定することができる。」「裁判所が右の処分の適否を審査するにあたつては、懲戒権者と同一の立場に立つて懲戒処分をすべきであつたかどうか又はいかなる処分を選択すべきであつたかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではない。」(最高裁判所昭和五二年一二月一〇日判決)「懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決定することは、その処分が全く事実上の根拠に基かないと認められる場合であるか、もしくは社会観念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えるものと認められる場合を除き、懲戒権者の裁量に任されている」(最高裁判所昭和三二年五月一〇日判決)とされる。

(二)  控訴人の前記行為が諸法令に違反することはさきに述べたとおりであるが、未だ、社会、政治、思想について批判力の十分でない中学生に対し、毛沢東思想、中国共産党の主義を唯一絶対のものであるとして教え込んだことは、その生徒の将来に対する影響や公教育に対する社会的信用を考えると極めて重大な違法行為といわざるをえない。

(三)  控訴人の平素の行状、懲戒処分歴

(1) 控訴人は昭和二七年から山口県教組に加入し、その後副委員長、執行委員として熱心に組合活動をしていたが、当時桃山中学校目校長の校務運営に反対し、職員会議で、校務分掌、教育課程、教育公務員特例法、校内での選挙ポスターの取扱い、生徒の校外団体活動参加などの問題について法令を無視した独自の見解を強調し、本件免職処分後の昭和五二年五月一八日付長周新聞に「桃中闘争について―どんな子供に育てるか」との論文、昭和五六年二月号の雑誌人民教育に「教育の軍国主義化をうち破る教育闘争発展の萌芽」との論文で、民族民主教育を強調し、現在行われている教育のあり方を全面的に否定している。

(2) 控訴人は宇部市教育委員会からそれぞれ次のような懲戒処分を受けている。

(イ) 「昭和三三年一〇月二八日山口県教組の勤務評定反対統一行動にあたり、校長の承認を得ないで所定の勤務時間中に職務に専念することを怠り、職場を離脱して服務の秩序を乱した。」として、昭和三四年一月二四日付で口頭訓告を受けた。

(ロ) 「宇部市教育委員会が昭和三六年一〇月二六日同市立中学校第二、第三学年の生徒に対し、昭和三六年度全国中学校一斉学力調査を実施するにあたり同市立桃山中学校長杉原正男が控訴人にテスト担当者として同調査のテストの実施を命じたにもかかわらず、これを拒否し、当日テストの業務に全く従事しなかつた。」として、昭和三七年一月一二日付で減給三か月に処せられた。

(ハ) 「山口県教組が教職員の定数増加などの要求を掲げて昭和三九年二月六日から同年同月二七日までの間五回にわたり争議行為を行なつた際これに参加してほしいままに職場を離れて争議行為を行なつた。」として、同年五月六日付で文書訓告を受けた。

(ニ) 「服務の監督権者である宇部市教育委員会及び所属校の校長の度重なる注意、警告にもかかわらず、昭和四二年一〇月二六日、日本教職員労働組合の指令による違法な統一行動に参加し、同日午前八時一〇分から同九時〇九分までの間職務に専念する義務を怠つた。」として、昭和四二年一二月二七日付で減給三か月に処せられた。

(四)  控訴人の前記行為の影響等

山口県教組の組合員は昭和四三年当時約一五〇〇名(山口県下の小、中学校教員総数は約一万名であつた。)であり、その昭和三八年定期大会で児童生徒に対し民族民主教育を行なうことを議決していたので、右組合員が控訴人にならい民族民主教育を行なうことが予測されたのであり、本件免職処分はそれらの組合員に反省を促し、警告を与え、もつて、教育の正常化を図るのに必要不可欠な措置であつた。

7  以上のとおりであるから、本件免職処分は適法であり、控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきである。

四  証拠関係〈省略〉

理由

一  控訴人の請求原因1の事実(任命、桃山中学校勤務等)は当事者間に争いがなく、原審(第一、二回)控訴人本人尋問の結果によると、控訴人は昭和二七年三月山口大学教育学部第二中等教育科を卒業し、同年四月一日宇部市立厚南中学校に配置され、そのころ日本大学文学部通信教育部三年に編入学し、昭和二九年三月これを卒業し、外国語一級免許状を取得し、昭和三一年四月一日同二俣瀬中学校に、昭和三六年四月一日に同桃山中学校にそれぞれ配置換えされ、この間英語教科を担当してきたが、昭和四三年四月から昭和四四年三月までの間は、三年七組の生徒三九人の学級担任をしていたことが認められる。

二  控訴人に対する懲戒免職処分

1  被控訴人が昭和四五年一月七日控訴人を懲戒免職処分(本件免職処分)としたこと、その際被控訴人が控訴人に交付した処分理由説明書には、「控訴人は昭和四四年二月ころから、担任する生徒に対し、授業時間中に毛主席語録を解説し、その立場から時事問題を解説し批判するなどの言動があり、さらに同年三月一三日には、特別活動の時間に教室において三年七組の生徒全員に対して、これを読んでもらいたい旨を述べて毛主席語録を各人に一冊ずつ配付した。上記の行為は地方公務員法三二条、三三条に違反する。」と記載されていることは当事者間に争いがない。

2  被控訴人は、本訴において、処分理由として右のほか「控訴人が昭和四三年度(昭和四三年四月から昭和四四年三月まで)を通じて英語の授業時間及び特別活動の時間中に生徒に対して、我が国の資本主義体制、民主主義、自由主義を否定し、中国共産主義思想を植えつける教育をした。」との理由を追加する旨主張する。

処分理由の告知は、被処分者にこれについて攻撃防禦する機会を与えることを目的とするもので、法的に構成する以前の社会的事実が、処分説明書の記載と密接に関連し同一性があると認められる場合は、後日これを懲戒処分事由に追加して主張することを妨げるものではない。そう解しないと、別の機会に後者の事由で再び懲戒処分をされるということがあり得る。ところで、被控訴人主張の処分追加理由を処分説明書記載の理由と対照すると、日時的に重なる部分があり、実質的内容も密接に関連するので、同一性があるということができ、その追加主張は適法である。

三  控訴人の行為

1  各成立に争いのない甲第三六号証、甲第三九号証の一ないし一九、甲第四〇号証の一ないし六、乙第一ないし第四号証、乙第四〇、第四二号証、乙第四三号証の一ないし三、各原本の存在と成立に争いのない乙第三五ないし第三八号証、原審証人末永克己の証言から成立が認められる乙第一八号証、同目忠亮の証言から各成立が認められる乙第一九ないし第二七号証、乙第二八、第二九号証の各一、二、乙第三〇号証の一、乙第三一号証の一ないし三、同福井延生の証言から成立が認められる乙第三〇号証の二、同野村晃三の証言から成立が認められる同号証の三、原審証人目忠亮、同福井延生、同野村晃三、同野口寛、同末永克己、同田中茂夫、当審証人永谷禎正、同森脇保、同藤原文夫、同玉木稔、同品川つた江、同佐々木康晴、同平田弘子、同伊藤加代子、同南部俊昭、同竹田豊、同中尾茂樹の各証言、原審(第一、二回)及び当審控訴人本人尋問の結果(ただし、一部認定に反する部分を除く。)を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  毛語録の引用解説、時事解説について

(1) 控訴人は昭和四四年二月ころから同年三月中旬までの間、担任の桃山中学校三年七組の生徒(三九名)に対し、道徳及び特別活動の授業時間中に毛語録(乙第四号証)の内容を引用して解説した(このことは当事者間に争いがない。)。右毛語録(乙第四号証)は縦約一三センチメートル、横約九センチメートルの小型のもので、優にポケツトに入る程度のものであり、市販されているものである。

(2) 毛語録は中華人民共和国の成立前後にわたり、毛沢東がマルクス・レーニン主義の中国における具体的状況への適応として書いた著書論文等からの抜粋であり、これを紹介するまえがきには、「毛沢東思想は、帝国主義が全面的な崩壊にむかい、社会主義が全世界的勝利にむかう時代のマルクス・レーニン主義である。毛沢東思想は、帝国主義に反対する強力な思想的武器であり、修正主義と教条主義に反対する強力な思想的武器である。毛沢東思想は全党、全軍、全国のすべての活動の指導方針である。」などと書かれており、その内容は三三の項目に分類整理され、「共産党」「階級と階級闘争」「社会主義と共産主義」「人民内部の矛盾を正しく処理する」「戦争と平和」「帝国主義とすべての反動派はハリコの虎である」「敢然とたたかい敢然と勝利する」「人民戦争」「人民の軍隊」「党委員会の指導」「大衆路線」「政治工作」「将兵関係」「軍民関係」「三大民主」「教育と訓練」「人民に奉仕する」「愛国主義と国際主義」「革命的英雄主義」「勤倹建国」「自力更生、刻苦奮闘」「思想方法と工作方法」「調査研究」「誤つた思想をただす」「団結」「規律」「批判と自己批判」「共産党員」「幹部」「青年」「婦人」「文化芸術」「学習」となつており、共産主義革命の必然性、理念、革命手段としての戦争とその遂行方法、大衆の果すべき役割、革命遂行のために遵守さるべき規律及び道徳規範など各項目に応じて詳細で広範な理論や指針が示され、これに従つて行動すべきことが唯一絶対的に必要なものとして述べられ、全体として、共産主義革命の思想的、政治的、実践的典範の性質を有している。

(3) 控訴人は原審(第一、二回)当審における本人尋問の結果において、毛語録を引用解説したのは、生徒が進学就職等の困難な問題に直面した時の指針として、あるいは将来困難に立ち向う時の指針として、その教育的な側面を解説したものと述べるところ、控訴人自身が引用したとしている個所の文章は次のようなものである。

(イ) 「みなさんには多くの長所があり、大きな功労があるが、だからといつて高慢にならないようふかく注意すべきである。みなさんが人びとから尊敬されるのは当然であるが、また、このために高慢になりやすい。もしみなさんが高慢になつて、謙虚でなくなり、これからは努力せず、他人を尊重せず、幹部を尊重せず、大衆を尊重しないようになれば、みなさんは英雄にも、模範にもなれなくなるだろう。過去においてこういう人がでたが、それをまねることのないよう希望する。」(二五〇頁、「革命的英雄主義」の一部)

(ロ) 「仕事とは何か。仕事とは闘争することである。そうしたところには困難があり問題があるので、われわれがいつて解決する必要があるのである。われわれは困難を解決するために仕事をしにいくのであり、闘争をしにいくのである。困難なところへすすんでいく。それでこそ立派な同志である。」(二七二頁、「自力更生、刻苦奮闘」の一部)

(ハ) 「人びとは、自然界で自由を得ようとすれば、自然科学をもちいて自然を理解し、自然を克服し、自然を改造して、自然のなかから自由を得なければならない。」(二七八頁、「思想方法と工作方法」の一部)

(ニ) 「たとえ、われわれの仕事がひじように大きな成績をあげたとしても、うぬぼれたり、思いあがつたりしてよい理由はどこにもない。謙虚は人を進歩させ、うぬぼれは人を落後させるわれわれはいつまでもこの真理を、心にきざみこんでおかなければならない。」(三二五頁。「誤つた思想をただす」の一部)

(ホ) 「苦労のいる仕事は、われわれの目の前におかれている荷物のようなもので、それをかつぐだけの勇気がわれわれにあるかどうかが問題である。荷物には軽いのもあれば重いのもある。なかには軽いのをとつて、重いのをいやがり、重い荷物は人におしつけ、自分は軽いのをえらんでかつぐものもいる。これでは、立派な態度といえない。ある同志たちはそうではない。楽しみは人にゆずり、荷物は重いのをえらんでかつぎ、人に先んじて苦しみ、人におくれて楽しむ。こうした同志こそ立派な同志である。こうした共産主義者の精神を、われわれは見習わなければならない。」(三三〇頁、「誤つた思想をただす」の一部)

(4) 控訴人は原審(第一、二回)当審本人尋問の結果において、右中学校の授業中、エネルギー革命によつて石炭の需要が減り地元にある沖の山炭鉱などが閉山となり、これに従事した人々したがつて生徒達も他県へ四散してゆかなければならぬ事情、アメリカが他国の侵略のため沖縄基地に爆撃機を常駐させている事情、ベトナム人民がアメリカの侵攻に対して戦つている事情、山口県内にも岩国にアメリカ軍の基地があるという事情、九州大学構内にアメリカ軍戦闘機が墜落した事情などの時事解説をしたことを述べている。

(5) 控訴人が毛語録のその余の部分、すなわち、史的唯物論にもとずく毛沢東思想、当時における中国共産党の政治思想革命思想の解説をしたかどうか、そのような思想的立場で時事問題を解説したかどうか、そしてそれが共産主義を植えつける教育をしたことになるかどうかについては、他の項目と総合して後に述べる。

(二)  毛語録の配布について

控訴人は卒業式の前日である昭和四四年三月一三日特別活動の時間に担任する三年七組の教室において出席生徒全員に対し、よく読んで貰いたい旨述べて毛語録(乙第四号証はそのうちの一冊である。)を各人に一冊ずつ配布して贈つた。控訴人は前記(一)のように授業中に毛語録を引用解説したが、生徒が卒業後もこれを守りさらに自ら深める努力をすることを期待したものであり、その配布は、生徒達が控訴人に対し卒業記念として各自の似顔絵の木版画帳や万年筆・シヤープペンシルを贈つたので、その返礼としてなされた。

(三)  中国共産党の主義による教育について

(1) 控訴人は山口県教組の副委員長も務めたこともあり(現在は書記局員)、右組合の組合活動を熱心に推進してきた者の一人である。右組合が標榜する民族民主教育とは、概ね、朝鮮戦争による再軍備の危機を感じ、戦争の原因を明らかにして平和を守る教育をし、安全保障体制のもとにアメリカに従属する政治と教育制度に反対し、真に民族が独立するための課題を教育の中で明確にしようというものであり、また、そのことを教師だけではなく勤労大衆とともに協力して行なうというものである。

控訴人自身が自己の所見を公表した論文の中に次のようなものがある。それは本件免職処分後に発表されたものであるが、控訴人が桃山中学校において教育した当時の所見と異ならないものと考えられる。すなわち、「教育闘争を階級闘争の一環として位置づけ、たたかう勤労父母との団結を強化し、人民の立場に立つた進路観を確立して教育運動を展開しなければならない。われわれは、教育闘争をイデオロギー闘争としてとらえ、教師自らの生き方、親の生き方を通して敵のイデオロギーとたたかい、正しい進路観を確立する必要がある。(中略)われわれは、教育闘争を大衆闘争として組織し、大衆の積極性に依拠し、大衆自身を動かし、大衆と共にたたかい、大衆の先頭にたつてたたかう組織者とならねばならない。」(乙第四三号証の三、人民教育同盟発行「人民教育」月刊雑誌一九八一年二月号所収)「学校では子どもをどんな子どもに育てるかをめぐつて鋭いたたかいが展開されていた。山口県の多くの先進的な教師たちは、前衛党の指導のもとに米日反動派の教育支配をうち破り、日本人民の根本的利益に奉仕する教育の道を求めてたたかいを発展させた。われわれは、米日反動派の売国反動教育の実態とその本質、子どもの生活や学校の実際を分析し、戦前・戦後の教育闘争の歴史から正反両面の教訓をひき出し、その中から正しい路線―民族民主教育の路線―を創造していくという大事業に直面した。この仕事はまた、われわれの体内に深くしみこんでいるブルジヨア階級の世界観をうちたおすという激烈な思想闘争でもあつた。このような教育闘争が発展していく中で、私は桃山中学校三年生の担任教師として、生徒たちが日本民族の将来をになう立派な若者として育つていくために、民族的な誇りをもち、正しい考えを身につけ、社会進歩に貢献でき、愛国主義の心をもつて成長するよう願つて、一年間を生徒と学びあい、考えあい、生活をともにするために努力してきた。生徒たちは、卒業にさいしてひとりひとりが一年間の思い出として感想文を書き、木版でつくつた自分の似顔絵を私に贈つてくれた。私はこれに応えて、自分の「座右の書」であつた「毛主席語録」を卒業していく生徒たちひとりひとりに心をこめて贈つた。」(乙第四〇号証、長周新聞昭和四五年五月一八日版の控訴人名での寄稿の一部)のような内容を含むものである。

(2) 控訴人は昭和四三年夏休みの英語補習授業(高校進学希望者を対象にし、夏休みの始めと終り各五日間ずつ計一〇日間で各科目の補習を行ない、英語は合計一〇時間があてられた。)の二時間ないし二時間半の教材として、毛語録中「愚公、山を移す」の部分(二七三頁から二七五頁)を、毛語録の英訳書を参考にして控訴人が平易な文章に英訳し、三年生には自ら筆記体で謄写紙に書き謄写刷りをしてこれを和訳することの出題をし、二年生にはタイプライターで英文を打ち必要か所の文法問題の出題をした。その文章の中には、「愚公、山を移す」という中国の寓話を引用した上で「いま、中国人民の頭上には、やはり帝国主義と封建主義という二つの大きな山がのしかかつている。中国共産党は、はやくからこの二つの山をほつてしまおうと決意している。われわれは、かならずやりとおし、たえまなく働くものであつて、(中略)全国の人民大衆が、いつせいに立ちあがつて、われわれといつしよにこの二つの山をほるなら、どうしてほりくずせないことがあろうか。」とあり、そのうち三年生の教材には最後に「毛沢東による」旨明記し、これらの教材に関連して毛沢東思想を解説した。

(3) 控訴人は昭和四四年三月一二日、担任していた三年七組の生徒に対し、控訴人の授業について感想文を書かせたが、授業に対する生徒の反応のうちには被控訴人の主張(3(三)(3))のようなものがあり、さらに、昭和四四年五月ころ、三年七組の生徒の父兄が控訴人の授業内容につき生徒から聞いて書いた供述書、あるいは、右のごとく父兄が聞きとつたものを更に桃山中学校の教員が父兄から聞いて書いた供述録取書には被控訴人の主張(3(三)(4))のような内容のものがある。

(四)  まとめ

(1) 被控訴人は、控訴人が生徒に対し毛語録の思想的部分も解説し、その立場から時事問題を解説批判し、中国共産党の主義を植えつける教育をしたというところ、教師には教授教示の自由もあることであるから、主として、控訴人の教育が後記教育基本法八条に抵触することになるかどうかの観点から事実を認定することとする。

(2) 憲法が保障する学問の自由は、研究の結果を教示する自由も含むものであり、中学生に対する公教育においても、公権力によつて定められた意見のみを教示することを強制されず、教示の具体的内容方法についてもある程度の自由裁量が認められる。そして、教師が生徒の教育に全精力を投入しようとする限り、その全人格、その思想、主義が教示の内容に現れてくることは事実として避けえない。しかしながら、中学生は未だ十分な批判力を持たない年代であるから、教師の持つている思想、主義を常にそのまま教示できるとは限らず、おのずから一定の抑制を求められる。これを本件について考えるに、毛沢東は偉大な人物であり、毛沢東思想やこれに基づく当時の中国共産党の主義が科学的真理と実践的力を持つていたことは事実であるから、そのことを教示することは一向さしつかえないけれども、同時に、毛沢東の説く理論も時代と環境の制約があること、毛沢東の革命理論は我が憲法の議会制民主主義と相いれない点があること、共産主義や資本主義にはそれぞれ長所短所があること、政府政党や文部省の政策を批判するに当たつてもその反批判もあることを併せ教示し、客観的立場から教育すべきである。

(3) 三年七組の生徒の父兄が自ら作成した供述書、目校長ら桃山中学校教師が作成した供述録取書の内容には、控訴人が平素から生徒に対し史的唯物論の立場から資本主義を批判し、資本主義はいずれ崩壊し最終的には共産主義社会が到来することを教え、毛沢東思想、当時の中国共産党の主義による教育をしたことが記載されている。右供述書は生徒の理解しているところを父兄が書いたというものであるし、右供述録取書はそのようなものを更に教師が聞いて書いたというものであるから、細部においては誤り伝えられた部分があるかもしれないが、しかし、控訴人が毛沢東思想、中国共産党の主義によつて資本主義を批判する教示をしたということは大綱において否定できまい。そして、前記生徒の感想文自体の中にも、控訴人が平素毛語録を読みあげあるいは解説するに際し、毛沢東思想、中国共産党の主義が正しいことを強調し、資本主義自由主義の矛盾を指摘してこれを強調し、当時の政府の政策、したがつて国政を担当する政党を批判する教育をしたことが現れている。

控訴人がどのような思想的立場に立ち、どのような教育観を持つているかはさきに認定した控訴人の論文に現れており、「教育闘争を階級闘争の一環として位置づける」とか「教育闘争をイデオロギー闘争としてとらえる」というものであるし、また、毛語録を座右の書としているものであつて、毛沢東及びその思想への心酔は極めて強烈なものがあり、またその思想的立場の正しさについて確固とした信念を持つていたことが認められる。

右父兄の供述書等の内容、右生徒の感想文の内容及び控訴人の信念の強さを併せ考察するに、控訴人においては、生徒に共産主義を植えつけ革命の戦士にしようなどとの考えがあつたとは思えないが、毛沢東の人世観は生徒が困難に遭遇したときの力になるとの信念、毛沢東思想、中国共産党の主義の正しさについての強い信念、更に加えて教育熱心から、教育の場で折に触れては右のような信念を吐露し、それが前記のごとき客観的立場からの政治教育を超え、毛沢東思想、中国共産党の主義が正しく、日本の政府の主義政策が間違つているとの考えを生徒に植えつけるような政治教育になつたと推認することができる。そして、毛語録の一部を内容とする英語の補習問題を課したことも、毛語録を配布したことも、そのような政治教育の趣旨を含むものである。なお、このような政治教育がなされた時期は、昭和四三年四月当初からであつたとは断定できないが、三年七組の教育について触れている控訴人の前記論文などによると、すくなくとも三学期のみに止まらず、学年中途からなされたとみるべきである。

(4) これを要するに、控訴人は昭和四四年二・三月、桃山中学校三年七組の生徒に対し、授業時間中に毛語録の思想内容を含めてこれを解説し、毛沢東思想の立場から時事問題を解説批判し、それ以前の学年中途から、かような方法などにより、毛沢東思想、当時の中国共産党の主義が正しいとの政治教育、他面、当時日本で政権を担当していた特定の政党の主義、政策が正しくないとの政治教育をしたものであり、控訴人が昭和四四年三月一三日生徒に対し毛語録を配布した行為にもその趣旨が含まれているということができる。

2  以上のとおり認められ、原審(第一、二回)及び当審控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分はにわかに信用し難く、他に右認定を左右できる証拠はない。

3  なお、成立に争いのない乙第六ないし第一〇号証によると、控訴人が三年七組の生徒に対し共産主義教育をし、毛語録を生徒に配布した趣旨の新聞報道があつたことが認められる。

四  控訴人の行為の違法性

被控訴人は、控訴人の行為が教育基本法一条、二条、八条二項、中学校学習指導要領、学校教育法二八条六項、四〇条、教育公務員特例法二一条の三、人事院規則一四―七に違反することにより、地方公務員法三二条三三条に違反すると主張する。

1  教育基本法違反について

教育基本法八条一項は「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。」と定め、同二項は、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」と定める。

控訴人の前記行為は、毛沢東思想の正しさを強調する方法により、日本の内閣、政権を担当する特定の政党に反対する政治教育をしたことに当たる。ところで、毛沢東思想は中国の共産党がこれに立脚する思想であるから、その立場による政治教育が右法条にいう特定の政党を支持したことになるかについて考えるに、毛沢東思想は個性的で偉大な共産主義思想であるところ、我が国にも共産主義、社会主義を政治目標とする政党が存在し、殊に、特定の政党の中の一部には毛沢東思想と緊密な思想的関係を持つ者もあるのであつて、毛沢東思想と中国共産党の主義による政治教育は、教育基本法八条二項の特定の政党を支持する政治教育をしてはならないとの趣旨に抵触するといえる。

なお、控訴人の行為が右八条二項に反することにより教育基本法全体の精神に反するとはいえるが、格別、同法一条二条違反として免職処分理由とするのは相当でない。

2  中学校学習指導要領違反について

控訴人に対する本件免職処分説明書には中学校学習指導要領違反事実の記載がなく、不服審査手続中に追加されたものであることは当事者間に争いがないが、被控訴人が中学校学習指導要領違反として主張する事実は、控訴人に交付された本件免職処分説明書の事実を基本とし、これを中学校学習指導要領の観点からとらえたにすぎないもので、社会的にも事実の同一があり、すでに、不服審査手続以後主張され、その攻撃防禦の機会も十分に与えられていることであるし、適法な主張として許される。

右学習指導要領の成立の経緯根拠は被控訴人の主張(5(三)(2))のとおりである。そして、右学習指導要領が学習指導につき大綱的な遵守基準を設定したものとし、全体としては法的拘束力を持つことは既に最高裁判所判決(昭和五一年五月二一日大法廷判決)の示すところであり、当裁判所もこれに従うものである。

ところで、右学習指導要領は教育基本法を前提とし、これに則つて教育するための大綱的基準を定めたものであるから、すでに控訴人の行為が教育基本法八条二項に反するものである以上、右学習指導要領の細目について詳論するまでもなく、全体的にいつてこれにも違反するということができる。

3  学校教育法四〇条、二八条六項違反について

控訴人が教育基本法、中学校学習指導要領に反する教育をしたからといつて、「生徒の教育をつかさどつた」ことは否定できないところであつて、右法条違反があるとはいえない。

4  教育公務員特例法二一条の三、人事院規則一四―七違反について

控訴人の行為は、教室内において授業中、自己の信奉する毛沢東思想についての信念、真情を吐露するなどして、特定の政党を支持し又は反対する政治教育をした、担任の生徒に市販の毛語録を配布したというにすぎないものであるから、そのことは教育公務員特例法二一条の三、国家公務員法一〇二条所定の政治的行為の制限に抵触するものではないし、また、人事院規則一四―七「政治的行為」六項一三の立法趣旨からいつて、そこにいう政治的目的を有する文書の配布、朗読に当たるとまでいうことはできない。

5  以上のとおり、控訴人の前記の行為は、教育基本法八条二項、中学校学習指導要領に違反するものであり、これらの法令を遵守しなかつたので地方公務員法三二条の違反となり、中学校教員としてその職の信用を傷つけたので同法三三条違反にあたるものということができる。

五  控訴人の平素の行状、処分歴

前顕乙第三〇号証の一ないし三、各成立に争いのない乙第一五、第一七号証、弁論の全趣旨から各成立が認められる乙第一二号証の一ないし三、乙第一三、第一四、第一六号証、原審証人目忠亮、同福井延生、同野村晃三、当審証人永谷禎正の各証言、原審(第一、二回)及び当審控訴人本人尋問の結果(ただし、一部認定に反する部分を除く。)を総合すると、被控訴人の主張6(三)(1)の組合関係、職員会議での独自の見解の強調、本件免職処分後の論文での態度表明及び同(2)の宇部市教育委員会から四度にわたつて受けた懲戒処分の事由とその内容に関する各事実が認められる。一部右認定に反する原審(第一、二回)及び当審控訴人本人尋問の結果の一部は信用し難く、他にこれを左右する証拠はない。

六  本件免職処分の適法性について

1  前記乙第一号証、各原本の存在と成立に争いのない甲第六ないし第三一号証、成立に争いのない甲第三二、第三三、第三六号証、甲第三九号証の一三、一七、一八、当審における控訴人本人尋問の結果により成立の認められる甲第五四号証の一ないし四〇、第五五号証の一ないし四一、第五六号証の一ないし四七、第五七号証の一ないし四五、第五八号証の一ないし三一、第五九号証、原審(第一、二回)及び当審における控訴人本人尋問の結果によると、控訴人は熱心な教育者であり、英語の教育方法についても研究を重ねて自から実行し、他の教師にもこれをすすめて実績をあげており、また、生徒に対しテニスの指導をして、その実技面のみならず教育的効果についても相当な成績を納めていること、控訴人の教育的熱意に感動している生徒もいることが認められる。そして、控訴人が前記のごとく、毛沢東思想、当時における中国共産党の主義により教育をしたことも、これらの思想が人類普遍の真理と信じ、その信念の強さから、生徒の将来に必ず役立つと考えたことによるもので、いわば教育熱心の余りといえなくはない。

しかしながら、中学生は社会や政治に対する批判力が未だ十分でないことであるし、毛沢東思想などを誤解し、正しいと思われる目的のためなら非合法的行為も許されると解する者がないとはいえない。現に、控訴人が右のごとき教育をしあるいは毛語録を配布した昭和四四年前後、毛沢東思想を一部誤解し、毛沢東ないしは中国共産党に思想的根拠をおくと標榜しながら、過激な行動に及んだグループのあることは公知の事実である。かような時代背景を考えると、控訴人が公教育の場において、毛沢東思想、中国共産党の主義が絶対的に正しく、当時の日本政府の政治的立場や政策が誤つていると一方的に教育をしたことを軽視することはできない。

2  公務員に懲戒処分をするにあたつては、懲戒権者に裁量権があることは被控訴人の主張(6)指摘の最高裁判所判決が示すとおりであり、裁判所は懲戒権者の立場に立つて処分の可否内容を判断し、その結果と現実になされた処分を比較してその軽重を論ずべきものではない。

昭和四四年前後毛沢東思想を標榜して過激な行動に走つたグループのあつたことはさきに述べたとおりであり、このような当時の時代背景をもとに考えると、控訴人が生徒に対し毛沢東思想による政治教育をし毛語録を配布したという事実を知つた被控訴人は、その及ぼす影響について深い憂慮危惧をいだき、控訴人の行為は強い非難に価すると考えたと認められ、前記五で認定した事情を併せ考慮すると、被控訴人が控訴人を本件免職処分にしたことは社会観念上著しく妥当を欠くとはいえず、したがつて被控訴人に裁量権の濫用があつたとはいえない。

3  よつて、被控訴人が昭和四五年一月七日地方公務員法二九条一項一号により控訴人を本件免職処分にしたことは適法である。

七  結論

以上のとおりであるから、本件免職処分の取り消しを求める控訴人の本訴請求は失当として棄却を免れないところ、これと同趣旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 竹村壽 高木積夫 池田克俊)

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